子どもに親の病状をどう伝えますか?

 

右乳房の痛みを感じ、乳がんを発症してそろそろ1年が来ます。

2023年
5月右乳房浸潤管癌宣告
6月左乳房浸潤管癌宣告
7月遺伝子検査を受ける
8月両側乳房全摘出手術
・・・
胸の痛みを感じたのは4月30日。
娘はこの4月に中学生になったばかり・・・
一緒にまったりと過ごしていた時間の出来事に、病院へ行くことは把握していました。

その検査後、針生検で採ったガーゼに覆われた胸を見せ、
どんな検査だったのか細かく説明をし、クリニックの先生の腕がよかったから痛くはないことも伝えた。
最初は見るのを怖がってはいたけれど、痛くも何もないから大丈夫と伝えると、ただただ私のカラダを案じてくれた・・・。

針生検後のガーゼが取れて、いつもの状態になった胸にある固い固いしこりを触らせた。
これがあるということは癌かもしれないとも話をした。
『癌』というフレーズを何となく理解しながらも、私が平然といつもと変わらない態度に、娘は取り乱すことはなかった。

結果を知り、癌だったこと。
それを手術で摘出すること。
おまけに両方の胸に癌細胞ができたので、胸が完全になくなることも伝えた。

両胸にできた癌はそれぞれ場所が違い、温存は難しく、全摘をして再建の道があることを伝えられてたのですが、私の希望で再建なしの全摘を主治医に伝えていたので、娘にも胸は作らない理由を説明した。
娘はそのことには何も驚きも不安も示さなかった。

主治医に、それぞれの癌の部位が違うことで温存は難しいと伝えられた時、
『温存は考えていないので全摘でお願いします』
と即答した診察後、看護師がパンフレットを持って話をしてきた。
『娘さんの年齢からして思春期に入るころだから、お母さんの胸が亡くなってしまうことを話し合ってから結果を出されては?』
と勧められた。
話し合ったと言うより、淡々と私の考えを伝えただけだったことに、看護師からの提案を素直に応じました。

『お母さんが手術で胸を失くす選択をしたのをどう思っている?』
と聞くと、返ってきたきた言葉が
『私の胸じゃないし、お母さんの胸だからお母さんが決めたらいいやんって思った』
そうやんね!
『胸がないお母さんは嫌じゃないの?』
と聞くと、
『胸が無くなってもお母さんはお母さんだから!』
って言われた時は
『ありがとう!』って気持ちで満たされました。

子どもって時には大人になるんですね。

いや、大人も子どもも年齢は関係はないのかもしれませんね。

私には、母の癌治療がベースにあります。
それは、母は子どもと親との区別をはっきりさせており、心配させないと言う思いからなのか?
それとも、口を出すな!と言う思いからなのか?
私達兄妹には詳しくは容態を話さなかった。
残された闘病ノートには、『癌になって悔しい』と書かれた文字を今でも思い出し、頭から離れないでいる。
私と母との向き合い方がうまく出来ていなかった結果、苦しく後を引きずる事になった事、それらを含めて私が癌になったらどうしたらいいのかをずっと考えていたのがあったからです。

選択に正解はなく、誰もそれが正解不正解も言えない。

癌治療って、死生観を含め、生き方になるのかもしれません。

そんな患者になった想いを、全体像として見る子どもの成長はある意味、子ども自身の成長にもプラスになるのではないかと私は思っています。

そこに『可哀そう』と思うのはこちら側の勝手な想い。

子どもはそう思っていない・・・だから可哀そうと思わせるのではなく寄り添っていればいいのかな?って思います。
癌患者の家族としての見守りが、寄り添ってみてもらえる事で支えになるんです。

自分の過去を振り返りながら、自分の癌との向き合い方を私は娘に伝えようと思ったのでした。
これは私にとってのグリーフケアにもなっているんだと思います。

まっ、実際は泥くさいことしながら向き合ってるんですけどねぇ~。笑