癌に罹患してからのココロの変化
遅い春のお目見えですね。
この週末はお花見日和になりそうです。
乳がんを発症し、術後半年が来ました。
月日は早いものですね。
時間とは過ぎてしまえば何だったのか?と言うほどの癒しを与えてくれます。
私の乳がん発覚は痛みとして現れました。
言い方が雑ですが、乳しぼりをされているような、ぎゆっと締め付けのある引っ張られてる動きのある痛みで、起きたことがない違和感を感じて受診をした・・・
と言うのが始まり。
私の母方の祖母は、42歳で他界し、胃がんだったと聞いてます(たぶん・・・)
そして母は57歳で肺腺癌で他界したことで、自分の体質を気にしていなかったことはなく、何かしら自分もある(がんになる)かもしれない・・・
祖母の年齢、母の年齢に近づくにつれ意識する自分の年齢。
気をつけないと!
そう思いながら過ごす中で、乳癌と告知された時は大きなショックはありませんでした。
『来たか!』
と言うのが頭の中の言葉
ただ、もうちょっと先であってほしかった・・・
今じゃないねんなぁ~って。
痛みが起きて、翌日に受診をしてそのまま検査をし、明らかに疑いのある影を見つけ、その翌日に針生検をとって2週間の結果待ちの間は乳腺炎であってほしいと願っていました。
でも結果はビンゴ!
右乳房浸潤性乳癌、ホルモン受容性有りと告げられました。
カラダの部位にしてノーマークだった乳房
周りで乳がん発症が多く、まさか自分も乳癌って・・・
私の場合内臓系じゃないの?
今流行ってるの?
どういうこと?
当時の心境を思い起すと・・・
乳がんと宣告されて
『体を気遣っていた者ががん患者になるってシャレにならない』
という思いが頭を駆け巡る
老衰までは生かしてくれないんだ・・・
母のように癌告知から短い時間なのだろうか?
自分はどこまで時間を伸ばせるのだろうか?
娘はまだ中学生になったばかりの多感な時
仕事は続けられるのだろうか?
・・・
検査結果を説明するクリニック医から、発せられる今後の話が一瞬遠のく・・・
告知されるまでは自分は健常者だと思ってた。
それが一瞬でがん患者になってしまったのだから、少しは動揺するよね。
がんになったことへの動揺というより、私の場合、今は困る・・・という時間に対する動揺のほうが強い。
目と鼻の先にあるクリニックから5分もかからない距離を、ゆっくりゆっくり帰ったのを覚えています。
今は死ねない!(現代医療ではそう簡単に死なない)
それだけを考えて何をしていくか?
母の年齢を超え、父の年齢を超える。
親を超えることってこんなことでしか越せないのなら、越してみる!
そして私が母と過ごした30年の月日を、私も娘と過ごしていたい。
その時間までは何としても時間をつないでいたい!
そして病になったとしても、楽しめる人生が送られることを娘に見てもらいたいと思うのです。
怖いものではないってことを。
どんな治療になるのか分かりませんでしたが、何とかなる・・・。
ただそれだけでした。
何とかなる
何とかしよう!
そんな心境で迎えた検査や治療ですが、健常者からがん患者への立位置が変わるとは、人はこう感じるのか?
という学びがこれから始まったのです。