がん患者が敏感期に入る

 

幼少期の成長段階において、物事に強い興味やこだわりを持つ時期を敏感期と表し、モンテッソーリ教育でこの時期をとても大切に育てています

娘を通わせていた幼稚園で知った敏感期

『秩序・感覚・運動・文字・数・文化』といった敏感期があり、子供たちは個々に興味を持ったものに夢中になり、繰り返し繰り返し経験し、自らの力でステップアップしようとするのが敏感期というもの

今ここで、がん当事者となった私の敏感期が、始まったように思います

クリニックで右乳房のがんが見つかり、クリニックから治療する病院へ探す私のポイントは、通える距離・症例数でした

紹介リストの中から、自分で決めた総合病院へ紹介をしてもらい、病院ではすべてが言われるがままに行動し記入する
呼ばれて診察室に入ると、狭い部屋に圧倒されるほどの人の数・・・(そう感じた)
後で知ったことが、教育病院でもあったということ(総合病院では今は当たり前なのかも・・・)

知らないまま、人口密度の多い診察室で問診が始まり触診へとベッドに横たわったとき、カーテンを引いて入ってこられた医師の周りに、たくさんの顔が見えた時はちょっと一言ほしいと心の中でつぶやいた

病院側では毎日のことで普通のことでしょう

そんなことが、がん当事者になるといちいち引っかかるのです

教育病院で育成するには当たり前、医師不足の中、一生懸命に学んでほしと思うけれど・・・
がん告知後の、心の整理も落ち着かない心境は置いてけぼりになる

何気ない一言が胸に引っかかる・・・

主治医となる医師の初診の印象は、あまり覚えていない

診察の流れに乗るので必死だったのかもしれません

だけど、最初の一言が、
『乳がんの情報はネットで調べるとたくさん出てきますので、知ってるかもしれませんが…』
というので即座に
『調べていない!』といったことで、乳がんとはどんなものかと説明をしてくれた

23年前の母のがん治療時は、医師たちに治してもらうというスタンスで患者はいたと思います

今は、患者も自分のがんを勉強しながら、一緒に治療に立ち向かうというスタンスのようですが、がん経験が初めてなもんだから、そんなことに気付くのが後になるんですよね

そして、ネット社会の今の流れとして、患者がよく調べてこられるので、その流れの思い込みの対応となるのでしょうか?

よくよく落ち着けば、どうってことのない言葉が、がん当事者となって言葉の敏感さに自分でも驚きます

自分も人の対応に気を付けなければならないと言うことの気づきのようです

まさしく私の敏感期を刺激される、病院と患者・医師と患者・看護と患者・家族と患者

一つのがんという病に対して、それぞれが持つ立場の目線と自分の目線のすり合わせを今後していかないといけなくなるのだと思いました