乳がんでも温泉に入りたい!
こんにちは
トリニティサロンのサンです。
二十四節気の最後となる大寒を迎え、これを乗り切れば春がやってきます!
花屋の前を通ると、鮮やかな色をした花々にこころが弾みます。
寒さが深まる大寒を過ごしていると温泉に入りたいなぁって気分になるのですが、温泉いいですよね。
私の母が風呂好きだった影響か?
私もお風呂は大好きです。
大人になって、おひとり様の温泉や銭湯が楽しみになっていた私でしたが、乳がんになって気軽に行くには一旦思考が止まります。
場所と少ない時間帯を調べていたら・・・結局行く気も失せて家風呂で楽しむばかり・・・。
乳がん罹患者にはお風呂に行けなくなったと言うお声をよく聞くようになりました。
やはりお風呂問題が上がります。
私もその一人となるお風呂好きから主治医にお願いしたことがあります。
『公共のお風呂に入りに行きたいので、周りの方が引かないような傷跡に・・・。』とお願いした事を覚えています。
主治医は
『なるべくきれいに縫いますね!』と。
そんなやり取りをして術後、お風呂に行ったのは今のところ1回だけです。(1年と半年間で)
こんな季節はやはりお風呂が恋しい・・
今では家で2時間のお風呂タイムで楽しんでいますが、やはり躊躇しなくても行ける状態でいたいですね。
『ピンクリボンのお宿』というネットワーク団体があるのですが、ご利用したことなどはありますか?
私はまだないのですが、お風呂屋さんに行けなくなったと言う方にこちらの団体をご紹介さて頂くと、とても喜んでいらっしゃいました。
以前
ご自身が言われたことではない話なのですが、お風呂屋さんで傷跡を隠していたらしいのですが、見えたのか?
通りすがりに
『嫌なものを見ちゃったわね…』と耳に入ってからは・・・とその方同様、ご自身の事のようにショックを受けて行けなくなったそうでした。
そのお気持ちよくわかります。
ですが、もしや両方を受け止めないといけない事なのかもしれません。
私は主治医になぜお願いしたかと言うと、やはり傷跡というのは、見る人によってはトラウマになるかもしれないと言う事だと思ったからです。
血を見るのもダメ!って方に
傷跡オッケー!って方がいらっしゃるのかと思ったり・・・
なので、傷がショックに見えない美しい傷跡にしてほしいなって思ったのです。
傷が個性(模様)と見えたらいいなって思いません?
そしたら、どちらも嫌な思いはしなくて済むんじゃないかと・・・
乳腺科の医師に対し、無理難題を言ってしまう私・・・。(行くなら美容外科かな)
この傷が隠すものじゃなく・・・かといって見せるものじゃなく・・・
事実あるカラダとして受け止めれる目で(愛で)いれる社会であればと願うばかり。
ちょっと極端な言い方をしますが
娘の市立の小学校や中学校では障害があっても皆と同じ環境を与えています。
その環境を望んで、越してくるご家族もいらっしゃいます。
運動会も音楽会も授業も一緒です。
そして、隔てることなく接して行動を見て気持ちを汲み取り、私たちに通訳のように知らせてくれます。
この環境には、子どもたちの柔軟性に感動した経験があります。
今じゃ、パラリンピックで日本人が活躍する姿が当たり前のように、目にしています。
それぞれが自分のカラダと向き合いながら、その先にある目的・目標に向かう姿にも胸が熱く込み上げるものがあります。
障害が障害を越えたものとして受け入れられている
乳がん罹患者は胸がなくなったけれど障害ではない
でも、目に見えて存在していたものがなくなった喪失感はみな同じ悲しみがある
だけど、胸がない姿を色眼鏡で受け入れられる時があるならば・・・その色眼鏡は無くなって欲しいなって思います。
なくならないのなら、罹患者はこれが私の姿で何が悪い!(強気)って堂々といる心を身に付けることをお勧めしたと思います。
何も悪いことをしているわけじゃありません!
ただ、がん細胞が胸に出来てしまった
それだけと思う事に・・・したいです。
現在9人に1人は乳がんに罹患し、2人に1人は何かのがんに罹患する世の中
子どもが正直に口にする年頃の子育てに、『見てはいけないものとして、見てはいけません!』と育てるか、それとも
事実の姿を説明し、どう接することがいいのか話す機会としての教育と捉えてもらえたら、なんか違って来るかな?
だとしたら、私ももっと外へ出て、話し合う機会を持てれるようにお風呂屋さんに行こうかな♪
同じ乳がん罹患者に私のような捉え方をするのが全てではなく、真逆の方もいらっしゃいます。
十人十色ですからね、そりゃそうです!
だけれども・・・
罹患しても大切な命、生きていかなきゃ!
世界を狭くして生きていくのか?
自分の世界を広くして生きていくのか?
どちらで生きて行きたい?
お風呂に行きたい!からの生き方の話になっちゃった・・・・。